鵜の木情報 東京高等学校

oyaji1412007-09-13

 鵜の木を語るとき、昭和の初期からの東京高等学校をご紹介します。
 東京高校(その1)     
 鵜の木には昭和初期から存在する私学の雄「学校法人東京高等学校」がある。
9月のある日東京高校の前校長 野口先生・現校長の兼岡先生のご好
意で新装成った全校舎を拝見することができた。明るく開放感のある
教室では授業が真剣に行われていた。その一隅に東京高校の歴史を物
語る資料館があり拝見することができた。卒業生の中には文豪 山本
有三・美術界の元老小糸源太郎ほか多彩な人物を排出している。
 さて、上野塾の歴史を紐解いてみよう。創設者上野 清安政元年
小林家の三男として生まれる。父を亡くし4歳の時上野家の養子となる。
中学時代学校が火災で焼失廃校となる。そうした時長兄の継光に数学を
習う。継光は東京大学の教授補となるほどの人物であった。
 明治13年清は自ら数学拡張会を立ち上げる。その後さまざま活動しな
がら、語学や漢学なども教科に加える。また、将来の工業化に備える人
材育成のための教育にも力を注いだ。海軍水路局に勤務したりと活躍の
場は実に広い。自らも数学書の発行もし、新聞に論説を書くなど世論を
もリードした。 その精神は130年経た現在も息ずいている。
明治32年文部省は尋常中学校を中学校と改称した。それに伴い東京数学
院尋常中学校も東京中学校と改称した。明治から大正に掛けて規模の拡
大や校舎の消失、経営の危機など大きな転換の要素が数多くあった。
 大正11年4月商業課程を中心とする東京実業学校が発足した。そのす
ぐ後に関東大震災により校舎は焼失する。各方面の援助で仮校舎は建設
されたが初代校長上野 清大正13年6月この世を去った。2代校長に
清の次男上野 繁が就任した。

              東京高校記念誌より抜粋 文中敬称略