鵜の木情報 東京高等学校
鵜の木を語るとき、昭和の初期からの東京高等学校をご紹介します。
東京高校(その1)
鵜の木には昭和初期から存在する私学の雄「学校法人東京高等学校」がある。
9月のある日東京高校の前校長 野口先生・現校長の兼岡先生のご好
意で新装成った全校舎を拝見することができた。明るく開放感のある
教室では授業が真剣に行われていた。その一隅に東京高校の歴史を物
語る資料館があり拝見することができた。卒業生の中には文豪 山本
有三・美術界の元老小糸源太郎ほか多彩な人物を排出している。
さて、上野塾の歴史を紐解いてみよう。創設者上野 清は安政元年
小林家の三男として生まれる。父を亡くし4歳の時上野家の養子となる。
中学時代学校が火災で焼失廃校となる。そうした時長兄の継光に数学を
習う。継光は東京大学の教授補となるほどの人物であった。
明治13年清は自ら数学拡張会を立ち上げる。その後さまざま活動しな
がら、語学や漢学なども教科に加える。また、将来の工業化に備える人
材育成のための教育にも力を注いだ。海軍水路局に勤務したりと活躍の
場は実に広い。自らも数学書の発行もし、新聞に論説を書くなど世論を
もリードした。 その精神は130年経た現在も息ずいている。
明治32年文部省は尋常中学校を中学校と改称した。それに伴い東京数学
院尋常中学校も東京中学校と改称した。明治から大正に掛けて規模の拡
大や校舎の消失、経営の危機など大きな転換の要素が数多くあった。
大正11年4月商業課程を中心とする東京実業学校が発足した。そのす
ぐ後に関東大震災により校舎は焼失する。各方面の援助で仮校舎は建設
されたが初代校長上野 清は大正13年6月この世を去った。2代校長に
清の次男上野 繁が就任した。
東京高校記念誌より抜粋 文中敬称略