鵜の木の情報

 鵜の木の情報
鵜の木地区地域情報誌「さんぽみち」平成19年1月1日号より抜粋 
我が家の裏山(松山)から、平成18年8月に奈良時代の遺跡(墳墓)が発見
された。この地域を治めていた有力者の墓と思われ、これらの墓が作られ
たのは7世紀頃ではないか。
1〜6号まである内、6号横穴墓について説明をしましょう。
横穴道は6メートルあり、墓は5メートルとかなりの奥行きがある。前の墓道
で祭りなどが行われたと推測される。
羨門(墓の入り口)とその前に重ねられた三個の切石。
そして墓の内部、かまぼこ型の形で礫が敷かれ一段高いところに被葬者の棺
が祭られて居た。墓室内は全長5メートル最大幅2,6メートル、最大高1,85
メートルとかなり大きく、被葬者の実力を物語る規模といえる。
このころ日本は「国名」を日本と改め、律令国家となり大化の改新が遂げら
れた。そのころ金属による農工具が普及し、この墳墓の石の加工にその農工
具が使われ、見事な仕事振りが物語っている。